背景
SNSで超かぐや姫という作品が話題だと流れてきました。
Netflixでしか配信していないみたいなので、そこは地面師たちと同じですね。Netflix自体は契約しているので、いつか見ようと思いつつも見れずにしばらく時間が経過していたのですが、ちょうど知人が家に泊まりに来ていたのでそのタイミングで一緒に見ることにしました。
ちなみに、見る前に知っていた情報としては、
- 女の子が可愛い
- かぐやという女の子がいる
っていうことだけでした。実質、何も知らない状態。
批評
ちょうどこれを見ている時、タコパの準備をしていたので全部を見れていたわけではないことをご了承ください。
まあ批評するなら全部をちゃんと見ろっていうのはまあそうなんですが、一旦そこは置いといて、流し見した人間にはどのようにこの作品が見えたのか、またネット上の批評をどう受け止めたかについて語っていこうかと思います。
前評判との比較
超かぐや姫!が超つまらなかったは、実は視聴前にチラッと見ていたのですが、本ポンを見ていないせいで全然わからなかったので、これを見ながら書いていきます。
この記事でも書いてあるのですが「アニメーションと演出」「曲、声優さんの演技」が良かった、というのは同意できます。
わたしは生粋の作画厨・演出厨なので、アニメーションの完成度の高さには驚きました。これがNetflixの資金力なのかな、と。ライブシーンでのダンスはコスト面からどうしても3Dに頼りがちなのですが、本作では(多分)全部手書きで描いていてめちゃくちゃ刺さりました。
3Dダンスが嫌いなわけではないんですけど、背景とかと比較するとどうしても浮いちゃうので「まだ手書きを置き換えられる程のレベルに達していない」っていうのがわたしの立場です。なので、こういう手書きの作画は本当に好きです。
シナリオについては「シナリオ構造自体が破綻している」「メイン声優陣が複雑すぎる話を最初に飲み込めなくて」というのは、ある程度的を射ているのではないかと思う。というのも、本作では人生におけるキレイなところしか一切描画されていなくて、いつの間にか母親との確執のようなものも、兄弟間のわだかまりも解消している。ライバーを始めるにあたって、伸び悩む初期や中期の葛藤などはないし、サクサク進んでいくサクセスストーリーで、可愛い女の子を全面にプッシュしている作品であると感じている。
ここで正直に言っておくと、わたしはこういったサクセスストーリーよりももっとドロドロとした、アイドル作品で言えばWake Up, Girls!のような作品のほうが好きなのであるが、超かぐや姫のようなキレイなところしか見せない作品が嫌いというわけではない。ずっとこういう作品ばかり見るのはつまらないけど、たまにはいいよねという柿の種におけるピーナッツみたいな立場である。
で、そういう可愛さ全振りにするのであれば「なんでこんなまどろっこしいシナリオにしたのか」というのが疑問になってくる。生前、山本弘氏が映画君の名は。におけるティアマト彗星の「彗星の尾」について、
無論、スペースオペラ映画に「光より速いものはありえない」とか文句つけたり、怪獣映画に「巨大怪獣なんて存在するわけがない」なんて言うのは無粋だよ。オカルト映画に対して「幽霊なんているわけない」なんて言うのも同じ。物語の基本設定に対しては「そういうものだ」と納得するのが正しい態度。だから『君の名は。』も、人格の入れ替わりという基本設定に対しては文句つけない。そうことが起きるという前提の話なんだから。でも、あの彗星の軌道は違うよね?物理的に正しい軌道を描いても物語は成立するよね?だったら何で正しい軌道を描かなかったの?
と投稿したことがあったのだが、この姿勢は創作物を見るうえでものすごく重要であると考えている。
例えば本作であれば「なんで電柱に女の子がいるの」とか「なんで急に成長するの」とか「家賃35万とか保証人いても借りられないだろ」にツッコんではいけない。これはそういうものを認めたうえでの作品なので。「かぐやが月から来ました」っていうのも認めたうえで、竹取物語のように月に帰るのも納得できるのだが、じゃあ「なんで急にタイムリープの設定を入れて過去に戻ったの?」という疑問が生じてくる。そして、そのタイムリープの設定を入れて、得られるのは「カグヤとヤチヨが実は同一人物だった」という事実だけなのである。
隕石にぶつかって時間軸がズレるとかも、正直よくわからないし、これならカグヤがポンコツで戻る時間を間違えたとか、月と地球では時間軸がズレているから同じ時間には戻れなかったみたいな、ある意味ご都合主義な理由をつけてしまったほうがすんなりと受け入れられたと思う。
長くなったのでまとめると「カグヤとヤチヨが同一人物」という事実を設定に組み込むために「タイムリープの設定を入れて話をややこしくする意味はあったのか」ということが引っかかるということですね。「カグヤがヤチヨとして8000年間一人で待っていた」ということが一途で大事なんだという意見はあるかも知れないが、この設定がなくても本作は十分かぐやが彩葉のことを好きでいることはわかると思うので尚更「この設定は別になくてよかったんじゃないか」と思ってしまうわけです。
かぐやが帰っちゃって淋しい彩葉が、その後研究者になってツクヨミに残されていたかぐやのパーソナリティのデータからかぐやを口寄せしました、みたいな展開でも面白いと思うんですよね。
彩葉のスペックが高すぎる
これ、結構SNSでも見かけた批評で、やれば何でもできるオールマイティ系の主人公なんですよね。
やらずにいただけで、やろうと思えば母親とも兄弟とも和解できた、でもいままでやらなかった。そういう優柔不断さが気になる人がいるみたいです。で、この批判は確かにと思う一方で、「できることとできるまでの間には大きな隔たりがあるんだよ」ということは強く主張したいです。
「できること」をみんなが「できる」ならダイエットに失敗する人はいないし、十分到達可能な目標をクリアできずに凹む人も出てきません。ましてや、主人公の彩葉は高校生なのでその点は責めることはできないでしょう。彩葉が自分が特別な人間であることを自覚していて、なろう系みたいな性格をしているのなら別ですが、そうでないことは本作を見た方ならわかると思います。
まあ、スペックが高すぎるという指摘はもっともだと思います。「結局、物語の中心になるのはそういう持っている人なんでしょ」という指摘もいくつか見られましたが、これは実際そうだと思います。
自分にブーメランとして刺さるのであまり言いたくないのですが「何者でもない自分に、何者でもない特別なイベントなんて発生しない」のですよ。物語の主人公たる人間には、その主人公たる資質、他の人間とは違う要素が必要なんです。何者でもない自分を主人公に投影しようとするから「結局こういう物語の中心になるのは特別な人間なんだ」という僻みを持ってしまうわけなんです。逆です、逆。特別な人間しか物語の中心にはなれないんですよ。
平凡に暮らしていたら、こういう世界とは無縁なんです。それでもそういう世界に憧れて、こういう作品を見るんじゃないんですか。
戦闘シーン
PvPについてはなんかのゲームっぽいなとは思ったのですが、ゲームをそもそもしないので全然わかりませんでした。
ただ、わたしはお兄ちゃんとわだかまりのある妹という組み合わせがとても好きなので、お兄ちゃんがメインで活躍するこのシーンはとても好きでした。
rayにおけるサビでのお兄ちゃんの登場シーンが呪術廻戦の花御との戦闘シーンっぽいなと思ったら、呪術廻戦も担当していた方がアニメーションを担当しているらしいです、なるほど。
かぐやと彩葉
SNSでは百合だとか言われているのですが「個人的には共依存の仲の良い友達、親友」という印象を受けました。
なんというか、最近は仲の良い女の子のカップリングだけですぐに「百合」だの「レズ」だのいう風潮がありますが、これがあまり好きではありません。なんでもそういえばいいってもんじゃないんだよ、と。
こういう「百合」のハードルが下がった一つの原因は「ゆるゆり」にあると思っているのですが、実際どうなんでしょう。本当にそういうものが見たいなら「ストロベリー・パニック」とか「マリア様がみてる」とかの王道作品を見ればいいのに、と思ってしまいます。
これは完全に私見なのですが、「百合」というカテゴリを安易に使わないで欲しいです。で、これも完全に私見なのですが、原作が描画していない二次創作も実はあんまり好きじゃなかったりします。涼宮ハルヒの憂鬱で例えると「キョンと長門が付き合っている」とか、そういうのです。本作でも「かぐやと彩葉が付き合っている」ような二次創作を見ると「そういう描写・設定ってあったっけ?」となってしまいます。要するにわたしはただの原作原理主義者です。
楽曲
ボカロ文化を全く知らないので、劇中歌も全然わかりませんでした。なので、新鮮な気持ちとして見れたと思います。
原曲を知らない以上、曲の解釈等は専門外なので、詳しい方に任せます。
伏線について
これ、最近のSNSでも勘違いしている人をめちゃくちゃ見かけるんですけど「伏線を仕込む=すごい」では全くないんですよ。なんか、SNSを見ていると伏線を見つけるたびに「すごい」を連呼している人を見かけるんですが、シナリオ上の伏線なら別にして単なる数字あそびなんて原作者の意向でいくらでも変えられる、かつ変えても本編に無関係なので何がすごいのか全然わかりません。
直近の例でいうと「呪術廻戦のOPがいろんな映画のオマージュですごい」っていうのがありましたが、映画のオマージュのOPなんてやろうと思えばできるわけです。呪術廻戦がオマージュ作品と関連があるとか、映画というコンテンツと関係があるとか、作者が映画好きとかそういう「背景」があるからこそオマージュが意味を持ってくるわけです。
超かぐや姫だと一部の映像の解像度が1000:1680になっていて「1:1.68で彩葉じゃん」っていうのがありましたが、これも別に「すごく」はないわけです。解像度の数字なんていくらでも変えられるので。ただ、その上で「主人公が彩葉」という背景があれば面白いイースターエッグにはなるわけです。
イースターエッグは個人的には面白いとは思うのですが、わたしはあんまり入れすぎるとそれはそれで興冷めしてしまうタイプの性格です。料理におけるスパイスのようなもので、それが映像・音楽・シナリオを差し置いてメインディッシュになるべきではないと思います。
本作とは関係ないですが、最近はこういうSNSでのイースターエッグの発見がバズの要素の一つにもなっているようで、色んな作品でやらなくてもいいような伏線を敢えて埋め込んでいるのが少し残念だったりします。
技術
作中では現代よりちょっと先の未来、との解説があった。
VRを体験するためのデバイスがコンタクトレンズなのは画期的だと思いました。今まではどうしてもVRゴーグルというイメージが抜けなかっただけに、革新的だな、と。ただVRゴーグルと比べても技術的なハードルがめちゃくちゃ高いと思うので、ひょっとしたらLSDよりも実現は未来になってしまうのではないかという懸念があります(本作の批評とは無関係です)
AIライバーヤチヨに関しては五年と言わず、数年以内に実現するでしょう。ツクヨミに関してもVRChatなどがあるように、後は汎用的なデバイスが低価格帯で一般ユーザーの手元に届くのがいつになるかというだけの問題だと思います。
まだVRChatはポリゴンが荒かったりしますが、ユーザーが増えてマネタイズが十分できるようになればここはリソースをつぎ込めば現代技術でも十分ツクヨミのようなワールドは再現できるかと。
まあ、それよりさっさと電脳メガネの実用化を…
総評
- 映像: 75点
- 音楽: 60点
- 声優: 70点
- 脚本: 35点
が、個人的な評価です。ここには書いていませんが、キャラクターの魅力も80点くらいあります。ちなみにわたしの中で85点がでれば一般的には満点に近い評価です。あんまり点数を高くすると今後の評価に支障をきたすので、評定はものすごく厳しくしています。
65点を超えれば「代替するのが難しい」クラスになるので、映像、音楽、声優に関しては本作の構成でわたしの中では「正解」だったと言えると思います。それに対して脚本は平均的、あるいはそれを少し下回る程度かなと思いました。可愛さ全振り、サクセスストーリーで、「竹取物語をバッドエンド、とした上でそれとは違うハッピーエンドを目指す」という作品全体の趣旨や構成を失うことなくもっと面白い脚本は書けたと思います。
他がものすごく魅力的だっただけに、脚本の自分の中での納得度にどうしても満足できませんでした。こういう、脚本だけがどうしても納得できなかった作品にWe Are*っていうのがあるので良ければプレイしてみてください。
脚本に関しては厳し目の評価になりましたが、総じて面白い作品だと思います。冒頭で自分はこういったハッピー全振りの作品は好みではないと言いましたが、何回も見るならやっぱりこういうハッピーな作品が良いです。自分はtrue tearsやsolaというアニメ作品がものすごく好きなのですが、いろいろ理由があって(書くとネタバレになるため)そう何度も見返すことができません。
こういう作品を楽しんで見れずに悪いところばかりが目立つようになった時、歳を重ねたことを意識するのかも知れませんね。
記事は以上。