背景
まず、超かぐや姫が大好きで、一切の批判を許さないという方は迷わずブラウザバックしましょう。
いいね?
ちなみにこれを書くにあたって、小説版もちゃんと読みました。アニメ版だけではわからない箇所がいくつかあり、主に母親のこととか、アニメではちょっとしか出てきていない「ワインの男の人」や「卒業ライブのヤチヨとの会話」や「お兄ちゃんと彩葉のその後」についてちょっと描かれています。
気になる方は読んでみるとよいです。電子版ならすぐ買えます。
前評価
総評から言えば、前回下した「かわいさ100点、脚本40点」というのは変わらなかった。
なので、面白いか面白くないかで言えば私の中での評価は「超かぐや姫は面白くない」になるわけだが、だからといってそれはすなわち「超かぐや姫は駄作である」ということにはならない。 そもそも、本当に駄作なら、わざわざ交通費を2000円もかけて映画館まで見に行かない。
「面白くない」ということと「駄作ではない」ということは両立するのである。
かぐやと彩葉
小説版ではもうちょっと踏み込んだ内容になっていて、彩葉がかぐやのことをどう思っているかについて彩葉視点から言及されている。
アニメ版では主にヤチヨがナレーターという立場だったので、彩葉視点から本作がどのように見えていたかを確認できるのは興味深かったです。
あんまり書くと未読の人にネタバレになるので書かないのですが、曖昧なアニメ版よりははっきりと書かれていた気がします。
作品の方針
竹取物語(かぐや姫)という、誰もが知っている原作を下敷きにしたうえで(というか、竹取物語ってあんなに有名なのに現代に至るまで作者不詳なのが面白かったりします)、「あの結末はバッドエンドだからハッピーエンドを目指す」という主目的はわかりやすくて個人的に好きです。
で、その主目的があるうえで、本作は明らかにrayの歌詞を意識した、インスパイアされた展開にしていると思うのですが「それでどうしてあの脚本になったのですか」っていうのが率直な感想です。
いや、褒めるところはたくさんあるので、本記事で批判してないところは基本的に褒めてると思ってください。
脚本自体も竹取物語をベースにしており、彩葉たちが頑張って戦うけど姫は月に帰ってしまいました。うん、ここまではいい。
で、そこから「彩葉もハッピーエンドを望んだ」というターニングポイントがきて、それがベランダでのイベントだったりするわけですが、なんでそこからタイムスリップして、ハガレンみたいな真理の扉とかになるのかがあまりに超展開すぎてついていけなかったです。
だって、タイムスリップしなくても将来の目標ができた彩葉がかぐやの思考回路を身体にインストールして、復活ライブっていう流れはできたじゃないですか。なんでタイムスリップ、なんで縄文時代なの。
8000年の片想いとかで作品に感情移入している人が結構いるのですが「伏線だからすごい」っていう洗脳に自らかかりにいっている気がしてならないです。よくよく考えて、第三者視点になってもう一回映画を見てみよう。そんなに深いことは書いてないよ。
そもそも本作はアニメ、オタク文化が好きな人をターゲットとしていて、更にキャラクターが可愛いっていうのを全面に押し出している作品だと思うので、脚本に視聴者が深読みして考察をすること自体がナンセンスだと思っています。
本作は女の子主体のサマーウォーズっていうテーマに竹取物語を取り入れて、何故か最後にハガレンを入れたっていう印象です。
自分にはないわがままさ、素直さを持っているかぐやに惹かれてずっと一緒にいたいと思ってかぐやを実際に復活させました、っていうだけの話。シンプルであって、シンプルでいいんです。だからこそ、最後の三十分でいきなりちゃぶ台をひっくり返した本展開が「そんな事する必要なかったのに」っていう感想になってしまうんですよね。
超かぐや姫には人生がない
まあ、これはかなり的を射ているのではないかと思う。
結構前、当時けいおんが流行っていた頃にけいおん大好きで「アニメはけいおんが一番好き」って言っていた当時知り合った知人がいたのですが、私がド直球に「アニメを見始めて、オタクになったばかりの人がけいおんが好きでけいおんの話が一番面白いっていうのはわかるけど、十年後もそれを言っていたら『十年間何もアニメを見てなかったか、けいおんが一番面白いっていう最初の先入観、けいおんが一番面白くなくてはいけないっていう自己暗示にかかっているだけだよ』と言ったことがあります」
その方にはそれがきっかけでまあ疎遠になったのですが、これは今でも正しいことだと思っています。
「超かぐや姫が面白い」って言っている人の大半は、他の作品を全然見たことがなくて「面白さの基準値がわからない」か「周りが面白いと言っているし、そういう先入観で見たら確かに面白かった、だからこの作品は面白いはずなんだ」という自己暗示にかかっているかのどっちかだと思います。
だから、この作品が面白いはずであるべきの証拠を探すことに躍起になって、伏線を探し続けたり、書いてもいない行間を読んだり、伏線を見つけたときの最初の反応が「すごい」になってしまうのではないかと。
ここまで書いてあれですが、私は別に超かぐや姫が嫌いではないです。ZONeも全種類買っちゃうくらいには好きです。
ただ、(これは超かぐや姫に限らず流行りの作品全てに言えることですが)「作品を手放しで褒める視聴者側の作品に対する姿勢が気に食わない」っていう感じです。私は好きな作家でも、(あくまでも自分の評価の中で)駄作は駄作だといいますし、嫌いな作家でも面白い作品は面白いといいます。敢えて名前を出すと村上春樹さんの1Q84はメディアが持ち上げてるだけだろと思って読んですらないですが、ノルウェイの森は面白いと思います。
まあ、別にこれは村上春樹さんが嫌いってわけではないのですが。
なので、オタクになったばかりの私も含めた若い世代が「超かぐや姫は面白い」っていうのはわかりますが、十年後も「この十年間で一番面白かったのは超かぐや姫」って言っているならそれは嘘だと思います。
普通の人生経験を歩んでいたら、もっともっと面白い作品はありますし、それらの作品に共感できたなら本作の脚本の薄さに絶対に違和感を覚えるはずです。それがないっていうことはあの人の言葉を借りるなら「人生がない」ってことなんだと思います。
最後に
繰り返しになりますが、私は超かぐや姫が嫌いではありません。むしろいろPガチ勢なので、好きな方だと思います。でも、本作が面白い作品だとは思いませんし、オタク文化に理解のない人に勧めることもないでしょう。ただ、オタク文化が好きなら共感できる作品だとは思います。
ぶっちゃけると私はボカロP文化ですら毛嫌いしていた節があるので、そんな私でも好きになれたのはすごいのではないでしょうか。いや、本当にタイトルを知っているボカロの曲って「ミックミクにしてあげる」と「ブラックロックシューター」と「千本桜」と「六兆年と一夜物語」と「初音ミクの消失」と「桜のような恋でした」くらいなんですよ。あまりにも流れてくるから覚えちゃった、って感じです。
で、これはあまりにも余談なんですが、私はどうしても彩葉とお兄ちゃんの関係性が好きで、月人戦とかを見ていてもどうしてもお兄ちゃんに目がいってしまってそこが本作の一番感動するところだと思うのですが、感動する一方で「でもこれって勝手に書かれてもいない彩葉とお兄ちゃんの関係性の行間を読んでるだけだよな」ってふと我に返ると、「そうなると本作を褒めている人も私と同じように書かれてもいない彩葉とかぐやの関係性の行間を読んでいるだけなんだな」ってなります。
むしろ、作中で言及されているだけ、そっちのほうが素直な楽しみ方で、素直に超かぐや姫のシナリオに没入できない自分が異端、異端であることにアイデンティティと優位性を見出す厄介オタクなのかなとも思ったりします。
が、私は嘘をつけないタイプの人間なので、現時点で本作の脚本は他の要素に比べたらあまりにも薄いし、本作は良いはずだと信仰している人は「もっと面白い作品を見ればいいのに」という評価を下さざるを得ないと思っています。
ところで、そのうちZONeが120本くらい届くのですが、一緒に飲んでくれるいろPガチ勢の方はいらっしゃいませんか?
記事は以上。